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池上彰氏が京都府南丹市の男児遺体遺棄事件に関する報道をバッサリ

2026年4月20日

ジャーナリストの池上彰氏が、京都府南丹市の男児遺体遺棄事件に関して、自供している容疑者の逮捕後にも、内容の薄い報道をダラダラと続けているメディアに苦言を呈しました

 

池上彰氏が、2026年4月20日放送のテレビ朝日系「大下容子ワイド!スクランブル」に、スペシャル コメンテーターとして出演した番組での出来事で、男児の遺体発見から1週間経過したとして、番組では現場取材などを報じていましたが、事件についてのコメントを求められた池上氏は、番組の姿勢をバッサリと切り捨てました。

 

 

ジャーナリストの池上彰氏コメント

「あ、なるほど、こういうことだったのか、あるいは警察がこうやって捜査してきたのってことがよく分かるんですが」

「見ている側からするともういいんじゃないんですか、この話。容疑者が捕まって、容疑者が事件について認めているんですから、もう、これ以上扱わない方がいいんじゃないかなと私はそう思いましたけどね」

 

 

TV朝日の大下容子アナウンサー

「そういう方も多くいらっしゃいます」

 

 

ジャーナリストの増田ユリヤ氏コメント

「私たちも中途半端に情報を与えられていますが、目にすることが、そこからの好奇心であるとか、いろいろな想像であるとか、真偽のほどが分からないようなことを発信してしまうとか、そういうことにつながるような気がする」

 

 

戦略コンサルタントの田中道昭氏コメント

「この事件の取り上げ方ですけど、社会的に重要なのは何かというと、この家庭で何が起きていたのかとか、なぜ犯行に及んだのかという動機とか、なぜ誰も気がつけなかったのか、あるいは誰も気づけない状況だったのかということで、決して特異な事件として扱うのではなくて、どうやったら防げた死として教訓にできるのかが非常に重要だと思いますので、警察も報道もそういったところに集中してですね、防げる死ということで紹介していかないといけない事件だと思います」

 

 

早稲田大学の澤康臣教授コメント
「人はそれぞれ、自分が報じてもらいたいテーマを持っています。とくに政治的な関心がある人ほど、その思いは強くなる。エッジのある論点や、自分が訴えたいことをメディアに取り上げてほしいと考えるのは、ある意味自然なことです」

「新聞やテレビは定食型のメディアです。一つひとつのテーマに割ける報道量には限界がある。どこまで報じれば読者や視聴者の期待を満たせるのか、適正な基準はありません。だからこそ、メディアへの不満や不信は常に生まれます」
「ショッキングな事件で、多くの人が心を痛める内容ですから、報道の価値はある。メディアが大きく扱うこと自体はおかしくはありません。ただ、さすがにやりすぎでしょう。違和感が生じるレベルに達しています」
「ニュースの大きさに標準はありません。その時々の状況や他のニュースの有無、市民の関心の熱量によって変わるものです。今回のケースは、行方不明という初期段階から注目を集めたことで、注目が報道を呼び、報道が注目を呼ぶというスパイラルに入った可能性があります」

 

 

NET上でのコメント

「ちょっと取材、過熱しすぎ」

「長時間報じるニュースなのか?」

「その熱量をなぜ辺野古の事件に使わない?」

「大谷、大谷、京都、京都って、マスゴミは硬直化してねーか?」

「武力による現状変更は許さないとしてウクライナに多額の公金を垂れ流しておいて、武力による不当な攻撃を受けたイランを支援しない理由をTVでも議論しろって」

「メディアが無理やりにフォーカスさせようとした事件だった」

「為政者には尻尾を振って、弱いものを叩く。メディアの朝〇化が極まったな」

「容疑者の親の日配・帰化歴等もしっかりと調べてください。上(警察)からの情報を垂れ流すだけなら、報道ではなくて広報です」

「台湾メディア報道の方がインプ高かったよ」

                                       

オールド メディア各社は、小学生男児のご遺体が発見される以前から、本腰を入れて報道していました。

 

おそらく、報道関係者から情報が漏れていたのでしょう

 

メディアは、大々的にやりたいのでしょうが、事態が進展するまでは伝えるような情報が乏しく、「警察が捜査したが何も見つかりませんでした」などという意味も価値もない報道を垂れ流していました